ネパール・ヒマラヤ、パキスタン・フンザ地方山行所感

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徳島大学山岳部がヒマラヤ遠征に至るまで

私が大学生時代の1980年代は、山岳部の学生にとって、ヒマラヤ登山は高嶺の花だった。
ネパールでは、アイランドピークやメラピークなどの6000m級の山の数座が、手続きが簡略化されたトレッキングパーミッションで登れる山として解禁になって間もない頃だった。

ネパール・アンナプルナ山系を1周トレッキングして、ヒマラヤへの情熱を熱く語る松田聡先輩の勧めで、学生だけで1987年(昭和62年)にネパール・ヒマラヤに遠征を出すこととなった。数ある候補の中から、クーンブ(エベレスト)山系のアイランドピークに照準を絞った。時期は、僕は4年(医学部専門2年)、木子裕雄君は工学部3年の春、プレモンスーンシーズンだ。初めての海外旅行で、一生に一度しか行けないかもしれないと思うと、世界の最高峰エベレストを間近に見てきたいと思った。

一時疎遠になっていた山岳部OBの方々と現役部員との関係も、松田先輩が大島秀夫先生などに積極的に働きかけてくださっていたので、交流も密になって多大なご支援を頂く事ができ、有り難かった。このアイランドピーク遠征の成果が、後の1988年メラピーク、1990年プモリ遠征へとつながる。

まずは情報収集である。部室の書棚には、過去2回のアラスカ遠征の報告書があり、海外遠征のノウハウは、歴史ある徳島大学山岳部に培われてきたはずだった。しかし、我々にとっては遠い過去の他人事の様だった。当時を語る先輩も身近にはほとんどおいでなかったので、参考にできなかった。

幸いにして、鳥取大学山岳部が1986年(昭和61年)秋にアイランドピーク遠征、10月に登頂していることを知り、登頂者の一人、横関一郎さんに直接話を聞きに車で鳥取まで行くことにした。多くの学生が車を持ち始める時代で、私も父からお下がりのオートマチックのカローラSGLを使っていた。山岳部同級生で工学部の佐藤祐司君や大西善仁君も車を持っていた。

普段は松田先輩運転のホンダマチックのシビックで勝浦川沿いを遡り、生比奈までロッククライミングの練習によく通ったものだ。工学部の北澤聖司先輩はかっこいいアルミホイ-ルを装備したサニーGL(自称グリコラッタッタ)、友道康仁先輩はガス喰いコスモ(後、スズキ・セル坊)、教育学部の福田純子先輩(後に後輩の湊達治君と部内恋愛で結婚)のサニーちゃんでは、部活後の夕食などに連れて行ってもらったものだ。遠くは香川県境までドライブがてら、さぬき屋やびんび屋でさしみ定食。たまに沖浜の山口屋に行って、うな重の贅沢。藍住の樽十のお好み焼きや、ヨーロピアンのハンバーグ、などなど。

当時CLで遠征隊長となった木子君と一緒に1987年2月8日午前5時に徳島発、7:30実家の坂出に寄り、鳥取大学に着いたのは午後2:30だった。瀬戸大橋も明石大橋もなかった頃だ。四国から本州へはフェリーで渡り、高速道路もまだ発達していなかったので、一般道で延々と鳥取まで長時間運転、結構くたびれたのを覚えている。このときの情報が非常に役立った。

鳥取大学隊は、現役部員3人の構成だった。現地トレッキングエージェントは日本語が通じるコスモトレックが良かったこと。日本から持っていかずとも、カトマンズで手に入る装備の数々。ルクラ行きの飛行機が利用できず、ジリから歩いたこと。道中に虫が多く、ノミやシラミがうじゃうじゃいるところもあったこと。虫さされ部位が化膿して大変だったこと。5050mのBCで、メンバーの佐々木一哉さんが高山病で頭痛がひどく、登頂断念も、隊長の平岩竜彦さんと横関さんが登頂、高山病には利尿剤のダイアモックスが効いたらしい。登山ルートのクレバス帯や雪壁の状況なども詳しく教えてもらい、大変有り難かった。後に、鳥取大学から詳細な遠征報告書を送って頂き、共感を覚えるところが多かった。

大島先生や当時山岳部長の中瀬敬之教授においては、ネパール・ヒマラヤの詳細な地図を入手して頂いたり、ネパールに水力発電を援助する事業計画などで情報収集して頂き、登山計画に大変参考になった。装備をそろえるにあり、アラスカ遠征での写真にも写っていたエンジ色の古い大きい部旗があったので、持っていくことにした。これが、アイランドピークでの登頂写真になった。

近年のヒマラヤ登山は商業化し、身近になってきた。TVタレントのイモトアヤコがマナスル登頂、三浦雄一郎が80歳でエベレスト登頂。竹内洋岳がようやく日本人初のヒマラヤ8000m峰14サミッターとなったなど、話題が多い。ヒマラヤ本が数多く出回っていて、いろいろ読んでいるところだ。

今度はパキスタン・カラコルム・フンザ地方へ

一方、パキスタン・ヒマラヤのトレッキングに関しての情報は皆無に近かった。学生の海外旅行がはやり始めた時代で、世界各国の「地球の歩き方」が次々と刊行されていた。このシリーズにネパールはすでにあったが、パキスタンはまだなかった。当時、医学部同級生は、大学4~5年の時がチャンスとばかりに海外旅行談話に花が開いた。上村光弘君(現;国際医療研究センター呼吸器内科)はシベリア鉄道の旅、金塚勝君(現:徳島の板野で内科開業)はタイ旅行、新浜明彦君(現:沖縄県宜野湾市で開業したばかり)は中国成都などの旅行。女性陣はもっぱらヨーロッパだった。

ネパールでの経験があったので、パキスタン旅行は現地に飛び込んでなんとかなるだろう思った。アイランドピーク遠征の興奮がさめやらぬ1987年の夏休みに、イスラマバードに飛んだ。このときの往路は、山岳部1年後輩で工学部建設工学科4年の児玉文暁君と一緒だ。僕はフンザからバツーラ氷河などをトレッキング、彼はパキスタンからクンジェラーブ峠を越えて中国、カシュガル、トルファン、トンコウ、ラサ、ネパールのカトマンズへと回った。これが地球「歩き人ふみ」の放浪の旅の原点となる。

2013年12月15日、児玉君は、北海道での歩き旅で道連れとなったあゆみさんと二人で阿南の橘町の実家に徒歩でゴールインした。文暁君はタキシードで、あゆみさんはウエディングドレスを身にまとい、リュックをのせたカートを押しながらの何とも目立った格好だった。同時に婚姻届を提出、入籍した。僕も夫婦で橘町にかけつけ、松田先輩や多数の旅仲間とともに実家で出迎え、結婚を祝った。

2014年2月15日、学生時代に山行を共にした者が我が家に集まり、児玉君を囲む会を行った。アイランドピークやメラピークの話、歩き人の旅スライドショーなど、夜更けまで話は尽きなかった。
2014年8月12日に8月7日消印の絵はがきがベトナムから届いた。元気で放浪しているようだ。

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